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紫峯山方面へは今セタセタは出せない

 シレネはその呼称の通り、島随一の巨大湖クロテアの湖畔に栄える町だ。島内では抜群の治安の良さと生活水準の高さを誇る恵まれた土地であり、豊かな水資源と町を取り巻く森林は暮らしに潤いを与え、その余裕が住まう者の心にもゆとりを育んでいた。
 フローリア移民を悩ませる原因の最たるものは亜獣の害だが、ここシレネでは紫峯山に近づかない限り大型の亜獣も姿を見せることは無い。その紫峯山もアラセマ軍による亜獣掃討の結果、現在では山道の安全はほぼ確立され、セタセタと呼ばれる騎獣の利用により山向こうの町アナナスとの往来も容易となった――はずだった。

「悪いな。紫峯山方面へは今セタセタは出せない」
 それが、セタセタ乗り場の男の第一声だった。紫峯山の道程は街道の移動とは違い、徒歩では少々骨が折れる。セタセタを利用して一気に山越えができれば安全であるし、何より時間の短縮になる――そう考えてまず乗り場を確認しに来た、その結果がこれだった。
 やっと見つけたセタセタ乗り場は一見ただの牧場で、柵の向こうではやたらと毛の長い大きな四足獣が何匹か草を食んでいた。脇に立てられた小屋には「受付」と書かれており、その窓から顔を出した男と今こうして会話を行っているのだが。
「とにかくな、今はセタセタを出したくても出せないんだよ。喰われちまうから。鬼に」
(……鬼?)
「かれこれ何回同じことを説明してるか判らんのだが、今紫峯山の登山道に鬼が出るんだよ。しかもかなり麓のほうで、だ。普段はこんなことは無いんだが、なんで突然出てきたのやら」
 男は肩をすくめると、大仰にため息をついた。
「そんなわけで、誰かが鬼退治してくれるか、さもなくば鬼の方がどっかに引越ししてくれるまで我がセタセタ乗り場は一部休業だ。リコルスや雨の丘方面へは出せるから、その時は声を掛けてくれよな」

 単に鬼が出た、と言われてもなかなか対策の立てようはない。せめてもう少し相手の特徴が判れば良いのだが――。
 小鬼のような雑魚なら良いが、これが地母種の対存在とまで云われる大禍鬼であったりしたら目も当てられない。下手に手を出しても返り討ちにあうのがオチだ。
 しばらく、紫峯山へは近寄らないほうが無難だろう。


「もう少し稼ぎたい…」と思ったときに試してみたい5つの副業
投稿者 hearble 15:18 | コメント(0)| トラックバック(0)